01/10/2012

Waltzing Mathilda #2
















 いつもなら灰皿の下に押し込める金を探してポケットをまさぐっている頃のはずだった。しかし、今夜の彼はまだ席を立とうとはしなかった。とうに目の前のグラスは空になっているのに、どうにも気になって仕方がなかったのだ。
 彼の専用となってしまったカウンターの一番奥、そこから少し離れた中程の席ににその女は座っていた。どこにでもあるような白いブラウスを着て、長い髪を軽くまとめただけの横顔は決して夜の街に似合う感じではなかった。薄暗く華やかとは言えないバーのカウンターに女性一人で座っていることが、尚一層違和感を醸し出していた。








 彼女の手元には氷がすっかり溶けてしまったグラスが手付かずのまま置かれていた。カンパリの鮮やかな赤にレモンが添えられたそのカクテルは、女が飲むには不釣り合いにも見えた。
 彼女はカクテルが差し出されてから、ずっとその冷えたグラスを見つめたままだった。時折、何かを思い出したかのように顔を上げるのだが、いつしかまたその視線はグラスに注がれ、静かに時が過ぎるのを待っているかのようだった。







 いつのまにかボックス席のざわめきも消え失せ、店の空気が一瞬シンと音をたてた。何やら秘密めいた話をしていた二人連れの客が立ち上がって何かもめ始めた。少し大きめの音量で流れていた田舎臭いブルースと彼らの声が混ざって、深夜に差し掛かった店の空気を一層重いものにした。
 彼女は彼らの脇を何事もなかったかのようにすり抜け、ドアの方に向かった。カウンターのグラスを気にするように一瞬振り返ったように見えたが、それは気のせいかもしれないと彼は思った。
 しゃがれた声のブルースが終わるまで、彼は残された彼女のグラスをただぼんやりと眺めていた。

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